ちょっと気分転換

ブログのテーマ変えてみました。
まだちょっといろいろ不都合が多いのですが、まあ、徐々に整えてゆきます。

最近ね、少し考えちゃってるんですよね。
何がって、意図せず自分がものすごい『教育熱心な親』になってしまっていることが。

うーん、なんて言うんだろ。
こうしなくちゃいけない、ああしなくちゃいけない、と行っているつもりは毛頭ないんですけど、結果としてそうなってしまっていることが多くて、上手いこと自分のやりたいことを体現できていないような気がするんですよね。

それでもって、その結果、実は自分の存在そのものが、もしかしたら誰かに取ってのプレッシャーになってやしないかな、なんて。

何言ってるのか自分でもよくわかっていませんが。

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帰国生・継承語学習者への日本語教育を考える会

帰国生・継承語学習者への日本語教育を考える会.

ここ、いいです。学術的資料が盛りだくさん。

2008年11月の、中島和子教授(日英バイリンガル教育の先駆者的研究者で、早い時期からバイリンガル教育に関する著作を発表されています)による講演を再録した資料→(こちら・PDF)や、その資料内のリンクを辿って読める、カリフォルニア州立大学のダグラス昌子準教授の実践記録 「年少者のための継承日本語教育におけるプロジェクトアプローチを使った合同授業のデザイン』という論文などは、かなり参考になりました。

読むにはかなり骨が折れますが、これもまた、自分自身の日本語の修行だと思いましょう。

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やっぱり読書! 「憧れのバイリンガルになる方法」(Web記事の紹介)

あけましておめでとうございます。

月並みですが、今年はうさぎのように跳躍する年にしたいものです。

ところで、こんな記事をみつけました。

憧れのバイリンガルになる方法 (前編) [ナナメ目線!ジャパコリアン] – Be Wise Be Happy Pouch[ポーチ].

著者の具 滋宣(Shigenobu Gu)さんは、5歳から8歳まで日本で過ごしたあと韓国に戻り、韓国の高校を卒業した後、特別な日本語のトレーニングを積んだわけではないにも関わらず、早稲田大学に合格。日本の出版社勤務を経て、いまはフリーのライターさんです。

韓国に帰国後の彼の日本語環境は、『読書』だけだったそうです。以下、引用します。

<以下引用>

読書だけでバイリンガルになるという話は、これまでの常識から考えると信じられないかもしれない。しかしこれは私の親が日本語を忘れさせないための努力をほとんどしなかったので逆にはっきりしている。私が小学校3年生のときから高校卒業まで、私がした唯一の日本語活動は読書しかない。

幸い私の実家には父の仕事の関係で日本語の本は数えきれないほどあった。年齢を重ねるにつれ、私が手に取る本のレベルも自然に上がっていき、小学校3年生レベルだった私の日本語も、年齢相応の日本語に上がっていったのだ。喋ったり書いたりもせず、ただ読んだだけだ。そしてこの通り、現在の私はダブルリミテットではない。

<引用終わり>
海外での日本語維持に読書は欠かせない、むしろ読書こそが鍵だ、と、根拠なくずっと思ってきました。だからこそ文庫活動を始め、幼児期からいい読書環境を与えてあげられるように、と考えてきました。
ですが、そのことに疑問を問いかけられたことは一度や二度ではありません。
「本さえ読ませていればそれでいいの?」

と、暗にそのやり方への批判を込めた疑問を投げかけられ、それに答えることができなかったやるせなさを、私は忘れることができません。
ですが、この具さんの短いコラムで、目の前の霧が晴れてゆくような気がしました。
彼は、幼少時にテレビを見せてもらっていません。おそらく、ゲーム類も幼児期には手にしたことがないでしょう。そうして作り出した『暇な時間』に、彼は繰り返し本を読むことで、韓国にいながら大学入試にさえ対応できるほどの日本語力を培うことができたのです。
海外で暮らしながら日本語の維持を目指す皆さん。どうか、子どもたちに本を読んであげて下さい。幼児は、読んでもらうことでしか読書を体験できません。そして10歳を過ぎると、子どもたちは自然と、弱い方の言語での読書から遠ざかってしまいます。
10歳までの、音声からのインプットが重要な時期に耳からの読書をたくさん体験することが、やっぱり日本語維持の鍵なのだと思います。
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どんな情報が欲しいですか?

この10年ほどで、継承語教育にまつわる状況は劇的に変わったような気がしています。

私の住むニュージーランドは、移民国家です。
そのニュージーランドでさえ、学校での英語の成績が振るわない移民の子どもとその家族に対して、

「家庭でも、もっと英語を使って下さい」

という指導がされていました。ほんの10年前のことです。

最近では、乳幼児検診の時にも

「ちゃんと赤ちゃんと日本語で話していますか?」

と、聞かれるそうです。
先日のテレビの報道番組では、今や、ニュージーランドの未就学児の5人に1人が、家庭内で英語以外の言語に触れる機会を持っている、と伝えられました。

最近は、アメリカあたりでも継承語教育ブームが起きているようで、『子どもをバイリンガルとして育てましょう!』的なマニュアル本がここ数年でずいぶん出版されています。まあこれは、英語が母語であることに今まであぐらをかいていたアメリカ人がバイリンガリズムの利便性に目覚め、実は英語を母語とするものが最もバイリンガルになりにくい(今までその必要がなかったから)、ということに気がつきはじめたのかな、などと、勝手に解釈しています。

今、そういうマニュアル本を二冊ばかり手に入れて読んでいます。

ですが、どうにもこうにもすっきりしないことがあるんですよ。
これらアメリカで出版されている継承語教育本は、基本的にフランス語とかスペイン語とか、まあいわゆるラテン語を源流とする言語群内でのバイリンガリズムに偏っていることです。『日本語』という言語の難解さや、それ故のバイリンガリズムの成り立ちにくさ、みたいな部分についての考察はありませんからね。

もっとも、この分野の本は、日本語で何冊か読みました。でも、やっぱりすっきりしない。なんというか、研究書ばかりでプラクティカルじゃないんだよなあ。

海外にいて、子どもを現地語で育てていて、本当に欲しいのは、実践的な情報。
「漢字の習得難しいでしょ、じゃ、こんなのどう??」みたいな、ね。

そういう、日本語での継承語教育マニュアル本、まあ本当の所は万人向けのマニュアルなんて作れないんですけど、それでもなんとなく、ガイドラインになるような情報をまとめたものを作れないかなあ、とずっと思っていました。自分の息子に実践して来たこと、ここまでの9年間で自分なりに集めた情報の数々。それをまとめるだけで、少しは誰かの役に立つのかなあ、とかね。

私、昔からアイディアだけは豊富ですが、思いつくそばから忘れる、という、大変効率の悪い脳を保有しております。脳みその中がね、いつもばらばらと散らかっているんですよ。思いついたらすぐメモ、とか、そういうことがどういうわけか、どうしても出来ないんです。そういう人間なので、ブログとかチャットとか、書き文字で記録「しながら」考える方法が、すごく楽なんですよね。

そこで、どなたがサイト上でのブレインストーミングの相手をして頂けないでしょうか?

「日本語ー英語」の継承語教育を考える時に、どんな情報が欲しいですか?
なるべく具体的に書いて頂けると嬉しいです。
コメントお寄せください。

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えほんおじさんのぶろぐ:母語を豊かに

メルマガをいつも読ませて頂いてる、「えほんおじさん」こと、吉備こどものとも社の河口純一郎さんのブログ記事です。こと、絵本の読み聞かせと母語の発達については、具体的な数値を上げて下さっているので納得しやすいです。

えほんおじさんのぶろぐ:母語を豊かに.

ここにも書かれている通り、『母語を伝える』ということは、つまり『その言葉を使う人たちの価値観を伝える』ということです。日本語を伝えてゆく、ということは、実は、「日本的な価値観」を子どもたちに伝えてゆく、ということなんです。

ですが、えほんおじさんの活動拠点は日本ですから、このブログに書かれていることがこのままそっくり、海外で育つ子どもたちの「母語」にあてはめて考えられるわけではない、とは思います。特に国際結婚で両親の母語が違う場合は、父の言葉と母の言葉のどちらを「母語」にするか、というのは、とりもなおさず

「どちらの言葉の価値観を子どもの価値観の柱にするか」

ということです。選択肢がある、と考えて下さい。そして、もしどちらも大切にしてもらいたい、と思うのであれば、私は『ふたつの母語』、つまりふたつの価値観、という考え方があってもいい、と思います。

ふたつの価値観、というのは自分の中に判断基準がふたつある、いわゆる『ダブルスタンダード』と呼ばれることもあります。今までは必ずしも「いい印象」のある言葉ではありませんでした。ですが、これからは価値観が多様化する時代です。人は流動し、かつてのように自分の隣人が必ずしも自分と同じような『物事に対する前提』を持っているとは限らなくなります。

そのときに、ただ単にその相手を敬遠したり遠ざけたりするのではなく、寛容な気持ちを持っていたいですよね。そうね、そんな考え方もあるよね、と。『ダブルスタンダード』は、今後、価値観のぶつかり合いを上手く収めるための技術として、むしろ重要になってくるのではないかな、と考えたりしています。

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日本で小学校からの英語教育は必要か?

このところ注目して読んでいる記事です。

【校長と母の放課後メール】ーAsparaクラブ
■「英語大好き人間」の種まいて!

私は立場上、最近の日本の英語教育ブームにはものすごく疑問を感じています。
はやくからはじめりゃいいってもんじゃないでしょう、と。
なんていうのかなあ、英語の必要性ばかりが強調されて、その英語を話すために必要な素養を教育する、という部分がすっぽりと抜け落ちているような気がするんですよね。つまり、『自分はいま、何を話したいのか』を、自分自身の力で特定する力、というか。

大変乱暴で非論理的なのは重々承知の上で言いますが、
「言わぬが花」とか、
「言わぬが仏」とか、
「出る杭はうたれる」とか、
控えること、沈黙すること、へりくだること、一歩下がることなどが美徳とされる社会通念のなかで、日本人、というのは、発言する力を培うための教育をきちんと受けてきていないのです。このことは、私も本格的に英語の勉強を始めてから心底痛感しました。

英語は、「いま自分は何を話そうとしているのか」をきちんと把握できていないと話せない言語です。
何しろ、主語の次に動詞が来てしまうのですから。日本語のように、話しながら語尾を言い切りにするか「思います」と濁らせるか考えている余裕は、ないのです。

それに、日本人は相変わらず英語教育に幻想を抱きすぎているよなあ、と、これも本当によく感じます。

先日から、アメリカの言語学者による継承語教育の実用書を読んでいます。著者はフランス人で、母語はフランス語ですが、すでに在米20年以上になるそうです。ふたごの女の子のお母さんで、お子さんをフランス語で育てています。

彼女はアメリカの大学で、英語を媒介として言語学を学びました。それゆえ、自分の描いた言語学関係の本の内容を、フランスの友人や知人にフランス語で説明するのに困難を感じるそうです。一方で、英語の子どもの絵本には、未だに未知の単語を発見するのだそうです。

ひとは、その言葉を学んだ環境に即した語彙を習得するものです。英語とフランス語、という、比較的両立しやすい言語のバイリンガルである言語学者ですら、そうです。子ども時代を英語で過ごしていないから、絵本には今でも知らない単語があるわけです。当たり前です。
ところが、日本人の持つ『バイリンガル』のイメージは、なんかものすごく超人的なのですよね。
日本語でも英語でも、すべてのことが理解でき表現できる、みたいな。
そんなこと、出来るはずがないのです。

さらに、成人バイリンガルの発音に関しても日本は恐ろしく不寛容です。
『使える英語』が必要だというなら、母語なまりがあろうとなかろうと、通じればいいではないですか。
そこへ何故、ことさらに発音にこだわり、乳幼児期から英語のCDをかけ流す、などということを勧めるのだろうか、と、私はフシギでなりません。言葉というものの本質、『コミュニケーションツール』なのだということを見誤り、使うのは人間だ、ということが見落とされてしまっているような気がしてならないのです。

英語に堪能な人材の不足が今の日本に不利益を及ぼしていることは、わかります。ですから、「英語を話せる日本人」を育ててゆくことが必要だ、というのも理解します。ですが、そのために必要なことは全く違うアプローチなのではないですか?

日本の英語教育は、乳幼児期の日本語教育から始めるべきだ、と私は切に思います。

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Message for non-Japanese speakers

Recently I have received some English or translated comments from the people who are likely non-Japanese speakers. It happened after I set up my Facebook and Linkedin accounts and it is a difficult decision for me to make viewable these comments to the public – this is a Japanese blog and I cannot judge whether these English comments are a kind of spams or not. If you would like to send some comments seriously in English without any intention of advertisement or fishing, please remove the link to your website. Once you are authorised as a commenter by me, you will be able to send your comment anytime. Cheers.

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バイリンガル教育情報 On The web

このようなブログを見つけました。
ハワイで日本語と英語の塾を経営する方のブログです。

「応援します!海外子育て!バイリンガル子育て!」
  ハワイのTLC for Kids塾長ブログ

これは、ハワイの日本語情報誌に連載中のコラムを転載したものだそうです。
二言語環境での子育てにとって大切なことがよくまとめられていますが、
特に、国際結婚家庭での働きかけや、乳幼児期の働きかけについて詳しいです。
どうぞ、お時間のある折りにご一読ください。

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ずいぶんさぼってしまいました

ご無沙汰しています。

といっても、このブログを読んで下さっている方は、そう多くはないのですけどね。

ほぼ半年、放置している間に色々なことを考えていました。
考えることがクセみたいなものですけれど。

まず、自分は何をしたいのだろうと考えました。

海外で育つ日本人の子どもたちに日本語を、といっても、自分の子どもだけで十分じゃないか、と思ったり、
そもそも海外で育つといっても、現地語が堪能であれば日本語は必要じゃないじゃないの、とまた繰り返してみたり、
そうやって、在住国の教育方針から若干はずれたことをやろうとする時にかかるコストのことだとか、
それがかけられないが故に日本語を失う子どもたちのこととか、
そもそも、日本語だってどこまでやればいいのかな、とか、
まあ、今までもぐずぐずと考え続けてきたいつもの悩みが、巡り巡って戻ってきた、という感じです。

こういう堂々巡りは、まだまだ、あと10年は続くのでしょうね。

ただ、少しはっきりしてきたこともあります。
私のやりたいことは、日本語だけではないのだな、と。
ともかく世界中のいろいろな言葉を話す人たちが、
自分たちの言葉で子どもと語り合い、
自分たちの文化に伝わる物語を子どもたちに伝えてゆくことによって、
ひとが多様であることを許し合う空気、
を、世の中に作ってゆきたいのだと思います。

変わった、とは言っても、まだまだ世界は寛容とは言いがたいですからね。

なんていうのかな。
世界はまだまだ変わってゆくだろうけれど、
ふたつ以上の言葉を話せる人間が増えてゆくだけで、
世界、という場の許容力が増してゆくような気がするんですよね。
共通項を求めず、違っていてもそれを良し、とするような空気。

私は、それが欲しいのだと思います。

とりあえず、この先何をやるにせよ、
ニュージーランドで教育関係の仕事に就けなければ
現場も見られないし発言力も増さないので、
どういう形でもいいから正式に教師と名乗れる資格を取らなくては、とあがいている最中です。
その最初のステップ、英語の資格試験が今週末にあります。

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海外で日本語・実践編・言葉を「伝える人」は、誰ですか?

このブログに初めてご訪問頂いた方が多く使われるキーワードは、
「あいうえお表 ダウンロード」
またはそれに近い言葉です。たぶん、これから子どもたちに日本語を教えよう、と思っていらっしゃる方かもしれませんね。
「継承語」「海外 子育て 日本語」「海外 日本語教育」「バイリンガル教育」なども、増えてきました。

ネットの登場は、画期的ですね。今更ですが。

ほんの10年前には、何しろ日本語維持活動をやろうにも、目安に出来る指針みたいなものが何にもない状態でした。情報を得ようにも「とっかかり」があまりないのです。

だから、その「とっかかり」を作りたいな、という思いで、時々、思うことをここに書いています。私は専門的に勉強した人間ではなく、経験と書物から得た情報ばかりですが、そんなものでも誰かのお役に立てるのかな、と思うからです。

それでね、その「とっかかり」としてやっぱり、まず考えてほしいのは、『言葉を伝える人は、誰ですか?』という自問自答です。

日本が好きじゃなかった、だから海外を選んだ。でも子どもが生まれたとたん、この子とは日本語でしか話せない、と思った。
複数の友人から聞いた言葉です。

もし、『子どもに日本語を憶えてほしい』という希望が、似たような状況、同じような気持ちからはじまっているのだとしたら、あなたと、あなたの子どもたちにとっての日本語は、継承語です。そして伝える人は、あなたです。

この意識は、何より大切だと私は思います。「教える」のではなく、「伝える」。
あなたの気持ちを、ね。
日本語はそのための、とっても特別なツール、道具です。
でも、道具は使い込むことによって手に馴染み、手入れすることによって愛着が増し、だんだん体の一部になってゆきますよね。スポーツ選手の道具、職人さんの道具、料理人の道具、大工さんの道具。たぶんみんなそうです。だから、言葉だってそうだと、私は思います。

言葉は道具です。だからこそ、まずあなたが使い込み、そこに気持ちを乗せてください。
そうして職人さんが弟子に伝えるように、日本語の使い方を、子どもたちに伝えてあげて下さい。

道具に魂が宿れば、それはただの「道具」ではなくなります。

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