いろいろ、新たに知ったこと

自分の学校の今期のレポートのテーマに「年少のEFL(English as Foreign Language)学習者のための、HTML5を使ったWeb教材開発」など選びまして、まあ必要に迫られいくらか文献を読みました。

そこで、今まで私が自分の子どもに日本語を教えてきた経験や、それから志を同じくする仲間たちとともにやってきた経験上から、「たぶんそうなんじゃないかなあ」と思っていたことが、実はけっこう文献で裏付けられていたことが、わかってきました。

経験というのは、個人的なものです。

個人的なもの、ということは、それを以って普遍的なセオリーを組み立てることはできない、ということです。つまり、

「うちの子は、毎日2時間の読み聞かせをした結果、日本語を話すようになった」

という体験談があったとしても、それが、別の子の場合でも有効かどうかは「やってみなくてはわからない」という状況に置かれる、ということです。そして、「やってみた」としても、「毎日2時間の読み聞かせ」という具体的な方法以外の部分で、あるいはその方法そのものの中身においても、様々な条件の違いがあって、必ずしも同じ結果を導くとは限らない、ということです。

うちの息子は、12歳になりました。

メインの教育はずっとニュージーランドで英語で受けてきましたが、どうやら、思考言語は日本語みたいです。日本語で考えている、と本人も言います。英語の成績は、とびぬけて良くはありませんが、特別な配慮がいるほど悪くはなく、第二言語として学んでいることを考慮に入れれば十分な到達度だ、と学校からは言われています。スペリングの弱さだけは、まあ何とかしたほうがよさそうですが。

12歳、という段階に絞っていえば、日本語維持教育が成功している事例、と言ってもいいかな、と思います。ただ、これが将来的にいいこととなるか、それともこのせいで今後の英語が伸び悩み苦労することになるのかは、まだわかりません。だから、最終的に自分のやってきた方針が子どもにとってプラスになったかどうかの判断は、おそらくさらに10年後の仕事なのだと思います。

いま、ネット上には、海外で子育てしている日本人の方々の「体験的」日本語維持情報があふれています。そういう意味では、情報はたくさん得られる時代になりました。

では、その情報の『有益性』、つまり、本当に「自分にとって」あるいは「自分の子どもにとって」役に立つのかどうか、を見極めるのは、簡単ではありません。なにしろ、「試してみなくてはわからない」のですから。

でも、それじゃ困りますよね。

子供の成長は、待ってくれませんもの。

セオリー、とまでいかなくても、何か、子どもに日本語を残したいと願う親子が目指すものと、そのための環境整備の指針になるようなフレームワークをつくれたらいいなあ、とか、情報交換のためのネットワークをつくれたらいいなあ、とか、そんなことをずっと前から考えていました。今年一年、英語で学術論文を書く勉強をしながら、論文の読み方やセオリーの組み立て方を学び、いつか、何かの形で発信できたらいいなと思っています。

そうそう、先日ネットで知り合った研究者の友人に聞いたのですが、学問の世界で「研究者」として認められるには、ともかく論文を一本書いて発表すればいいんだそうです。しかも、論文発表に立場の縛り{例えば、どこかの大学に所属していなくちゃいけない、とか)は何もなく、だれでもできるんだそうです。

なんかね、研究、って一般の人まで届きにくいんですよね。

でも、例えば日本の言語聴覚士(Speech Therapist)の草分けである中川信子さんは、わかりやすい言葉で、子どもの言葉の問題に悩むお母さん方へ向けての本を書かれています。その中には、専門的な知識がやさしいことばで、でも必要なことがきちんと示されていて、いつの間にか専門分野の知識を注ぎ込んでもらえます。

私自身は研究者でもなんでもなく、ただの、少しばかり興味のある一般人、というレベルですが、中川さんのようなアプローチができる研究者にだったら、なってみたい気がします。研究の結果を一般の人たちの生活の中に溶かし込んで役立てていくような、そんな橋渡し役ができるようになれたらいいな、と思います。

clst2 の紹介

ニュージーランド在住18年目に突入。なんでこんなに長くなっちゃったんでしょう?
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