自分には何が出来るのだろうか

自分を取り巻く世界は、今、どこまで広いのか、と、思います。

飛行機にのって10時間で到着する国では、今も収束の気配がないまま、目に見えない毒、のようなものが空気に乗っています。それは今でも出ているのかいないのか。誰にその答えが出せるというのでしょう。

そこよりもずっと近い、飛行機で3時間ほどの海は、座礁したコンテナ船から流れ出た重油で真っ黒く染まっています。リゾート地として人気の高い、美しいビーチでした。つけた足跡は瞬く間に波に洗われ、また元の滑らかに濡れた砂に戻る、そんな無窮の繰り返しを、想像力さえ及ばぬほど彼方の昔から、繰り返してきたであろう場所でした。

そういう幾多の、地球規模の災難が今、どこかで現実に起こっていて、けれど私とその周囲の生活は変わらずに続いています。
この不公平はなんなのだろうか、と。

自分のこの手で、この足で、この体ひとつで、出来ることって何だろう、と考えるようになりました。
誰の手も借りず、機械の非人間的な利便性に頼らず、出来ることってなんだろう、と。
私はどのくらい歩けるのだろう、とか。
どのくらいの荷物を運べるのだろう、とか。
私は、空を見て天気の変化を読めるのだろうか。森の中で道に迷ったら、まずは水を得られるのだろうか。身ひとつで危険を察知することができるのだろうか。

こういう能力が無くなったことを、人類は「文明」と呼んで来ました。
でもそれは、本当に歓迎すべき変化だったのだろうか。いま、私にはわからなくなっています。

こんな妄想を持ちました。

有機物を食べて土に還すことの出来るミミズは、身ひとつで放射能の除去が出来るのだろうか。
もし出来るのならば、ミミズの方が人間より本当は高等なのかもしれない、と。

clst2 の紹介

ニュージーランド在住18年目に突入。なんでこんなに長くなっちゃったんでしょう?
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